さよならまで、もうすこしだけ

虚実綯い交ぜの句日記・歌日記

短歌

コオロギ

手妻師(てづまし)の妻の胡弓の妙なれば闘蟋師(とうしつし)らは無聊託(かこ)ちて

泣く姿までが憎らしい

泣くときは誰かに見せつけるような泣き方するのね、たまらないわね

青虫に喰ひ囓られし小松菜の葉肉の跡にフィヨルドを見ゆ

大幣(おおぬさ)で祓はれ我は鬼となる 終戦記念日出征の記憶

シエスタ

シエスタが破らる物憂き午後二時半 ガス交換手はボンベ引き摺り

猫の内股

土砂降りと神鳴りの音に驚きぬ つづけて嚔(はなひ)る猫の内股

大雨

大雨で山より流るる砂利・泥・礫(れき) 塩バニラって喉が渇くね

ウイキョウ

「茴香(ウイキョウ)のことなど知らぬ」そう言ってあなたは逃げる小隠れ横丁

おばけ

こんな日はぼくらおばけになりたいね ヤマツバメの輪を眺めるおばけ

ジベ

「『ジベつけ』の意味をあなたもわかるのね」 甲州出身 早朝のふたり

真夜中に埃の積もる壜を撫づ 高野山に降る雨は冷たし

開けられることのないワイン

葡萄酒のヴィンテージのみ旧(ふ)りてゆく 箱に収まる酒器はあらたし

草刈りの匂い

草刈られ匂ひ漂ふ夕べかな 藍のズボンは未だ色落ちせり

颱風

身震はせ電線に宿る燕らに笠をやりたし颱風前線

コスタリカ

伯剌西爾より英雄たちが帰りゆく 誇りを胸に「豊かな海岸」

フェンネル

フェンネルの香りが記憶を呼び起こす リカールの味 ペルノの匂い

蟻集

過ちて踏み殺したる蛞蝓の死骸に集(たか)り貪る蟻ら

名を呼べば喃語でいらへて駆け寄れり わが魂のやさしさの形(なり)

蒸す

蒸し暑き日がまたひとつ暮れゆきぬ ほうれん草の軸を捻じ曲げ

ひとり

「おれたちはみな悲しみを抱いてる」、その「おれたち」にわたしはいない

そろり

「歳時記は『夏』だけ持っていないの」と農家の若妻そろり耳打つ